僕の音楽自分史-社会人になるまで編

雑記
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こんばんは。木内です。

今回と次回に分けて、僕と音楽の関わりをお話ししたいと思います。

いきなりですが、本編に入りましょう。

※今回、3名ほど師匠のお名前がでてきますが、ブログのプロフページや、一部のコンサート等のプロフィール欄に掲載させていただいています。

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幼少期から学生時代まで

ヴァイオリンとピアノと「おけいこ」

僕も幼稚園の年長頃から、地元の島田紀美子先生にピアノを習い始めました。ピアノ自体好きだったんですが、あまり趣味という感覚が無かったかも知れません。というのも小さい頃からお稽古ごとをしていたので、ピアノを弾くことが日常生活の一部になっていたのだと思います(もちろん楽しかったです。ただし、別に練習の鬼だった訳では無いです、念のため)

 

実はその前、3歳の誕生日と共に母からヴァイオリンを教わりはじめました。それからほどなくして、今は亡き祖父には小学校いっぱいまでヴァイオリンの手ほどきを受けていました。2人とも今の自宅でヴァイオリン教室を開いていました。

 

同じ家で2つの教室が稼働していたので、教室に来る生徒さんのレッスンの様子が聞こえてくるのが当たり前の日常です。なのでおけいこのときって、ちゃんとしてなきゃいけないんだなーって、幼心に感じていたともいます。今は昔の祖父の場所を使わせてもらい、母ヴァイオリンと僕ピアノの、それぞれの教室をやっています。

人生の分かれ道は中学三年?

さて本題のピアノですが、中学へ進んでも全く止める気もなく、むしろ面白くなってきました。かといってこの時点ではピアニストとか、音楽の道へ進むことはハナから考えて無かったんです。そっちへ進みたくない、ではなく、単に選択肢になかっただけ。

ところがどういうタイミングなのか、僕が高校に進む年から「小諸市の小諸高等学校に音楽科が新設される」という話。上田市から電車で20分ほどです(あくまでも駅間のみ)。

それを中三の初秋ころ、当時通っていた上田市立第二中学校の担任の先生(なんと現在、同校校長先生!)に教えていただき、その時点で初めて知りましたというかその頃に進路を決めてなかったとか、今考えれば随分のんきな…(笑)

 

で、この進路について音楽家である母が、当初反対だった模様(イマイチよく覚えてないんですが)

高校で音楽専門の科へ進むということは、通常はその先は音大へ、ということです。そして音楽を生業として生活していくこと。つまり大学どうこうではなく、僕の将来を見据えての考えだったと思います。

この選択が良いか悪いかではなく、母の伝えたかった想いは今となってはよく分かる気がします(笑)

僕自身としては将来どうこうの話の前に、ここまで頑張ってきたんだから更にピアノを頑張ってみたいというわりと単純な理由で、専門的に音楽の勉強を続ける進路に決めました。ちなみに父は最初から賛成でした。

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高校、大学、そして…?

音楽科では高坂朋聖先生に師事し、武蔵野音大では引き続き高坂先生、同大学院にてコンスタンチン・ガネフ先生と、9年間で大変多くのことを学ばせて戴きました。もちろん上田にいるときには島田先生にも勉強させていただきました。

学生時代の事は書き始めればキリがないので、今回は割愛します(m__m)

 

ただ一つ、大学院一年だったか、半年間くらいピアノに対してものすごく悩んだ時期もありました。でも無事に院を修了したとき、これだけ勉強する機会を与えてもらった事に対する感謝での気持ちで、悩みはフッ飛びました。

今でも諸先生方はもちろん、とにかく一番は両親の理解と応援に感謝です

 

 

さて、ここで重大な問題です。

(就職の)進路どうしよう?

 

え、就職活動しなかったの?ってツッコまれそうですが…大変お恥ずかしい話、そういうのって卒業してから考えるもんだと当時は。。。

 

少なくとも東京に残るぞって気は1ナノメートルもなかったので、さっさと上田に戻ってきた次第であります。

 

まあそれからの話を全部時系列で追うのもアレなので、次回の記事で

僕が音楽とどういう関わりかたをしているのか、音楽活動や仕事について

などを、お話ししたいと思います。

実はそれをメインに書くつもりだったんですが、前置きが長くなっちゃったので、今回はこの内容で一本にしました。

 

それでは、また次回!

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